2014年12月1日月曜日

やっと辿り着いた全国山羊サミット

今井明夫さんより、全国山羊サミットに参加された方からの
お便りをお送りいただきましたので、ここに掲載させていただきます。

今井さんからは、

〈 ヤギでつながる人の関係がどんどん広がっていきますが、
 みなさんがそれぞれにヤギに対する思いを強く持っていて
 「つながるいのちの輪」を実感しています。 今井明夫 〉

というコメントもいただきました。本当に嬉しいです。

以下、サミット参加者さんからのお便りを掲載させていただきます。 ↓


私と山羊との出会いは10年ほど前のことである。
大好きだった仕事を家庭の事情で退職し、
転居先の自宅で悶々とした日々を過ごしていた私は、
あるとき思い立って近隣にある観光牧場に働かせてくれるよう
お願いしてみた。
しおれてしまっていた心が動物との触れ合いと、
緑の木立を抜ける清風を求めていたのだと思う。
無事雇われることになり、牧場に飼われていた様々な動物に交じって
山羊との交流が始まった。
 売店の売り子をすることになった私の前に現れたのは、
傍若無人なトカラ系の子山羊軍団であった。
所構わず跳び乗る、すました顔で糞をしながら歩いていく、
しゃがんで片付けているとお尻に頭突き、
振り返ると後足で立って待ち構えている。
お散歩タイムのたびに背中の毛を立てて跳び回る山羊たち。
山羊ってこんなに活動的なのか、アニメのイメージとは違って、
生命力あふれる山羊たちとの出会いだった。
 私の中に「山羊の情報を集めるアンテナ」が立った。
自宅にあった子供向けの図鑑を読んだが物足りない。
本屋で散々探しまわって、
農業関連の棚で『新特産シリーズ山羊』を見つけた。一気に読んだ。
難しくて理解できないところもあったが、
読後「山羊は素晴らしい生き物だ」と妙に興奮した。
売店から山羊を観察するのが楽しくなった。
私が山羊好きになったのを知って職員の方が『ヤギの友』を
貸して下さった。衝撃だった。こんな素晴らしい人達がいる。
自分も山羊と暮らしてみたいと強く思った。



諸事情から牧場の仕事はその年の冬になる頃辞めてしまったのだが、
アンテナが立っている私の日常の中には山羊の情報が
少しずつ入り込んでくるようになった。
新しい山羊本が発売されるたびワクワクしながら読んだ。
一般向けの本が増えてきていることと、
様々な目的で山羊と暮らす人が増えていることを感じ、
「私もいつかは」と、勇気をもらった。
9年の歳月を経て子育てと起業が一段落し、
昨年から山羊と暮らしている。
新米山羊飼いになって、
ついに憧れの全国山羊ネットワークに入会した。
私の夢を長年静かに支えてくれた本の著者の方々に会ってみたい。
全国山羊サミットは私にとってはやっと辿り着いた
瞼の父母が住まう場所である。
大げさかもしれないが、そのくらいの気持ちで北海道から
夜行列車を乗り継いで会場に向かった。

一人で活字を追いながら、
思いを馳せていた山羊をめぐる取り組みの数々、
それを実践している方々の講演やコメントは、声とともに、
体温や湿り気、草の香り、人と山羊の息遣いを伝えてくれる。

素晴らしい発表を楽しんだ後の移動のバスでは、
今井先生とお話しする機会があった。
揺れるバスの中、身を乗り出して山羊の病気への対応方法を
熱心に教えて下さった。
動物との関わり方は人間としての生き方に通ずる。
観察眼をもって真剣に山羊と接する今井先生は
私の反応を少しものがさずに一瞬で掌握されてしまう心地よさを感じた。


あつみ温泉の宿泊施設での交流会でも、
なぜ山羊と暮らしているのか全て説明しなくても
理解してもらえるという点で、
まるで親戚と会話しているような親しい感覚であった。
大地に根をおろして、
生命と向かい合って生活をしている人たちはなんて温かいのだろう。
帰りの夜行列車のお伴は「まきば便り」であった。
読みながらこれから広がっていく山羊との暮らしに夢が膨らんだ。

 私は今、学習塾で毎日たくさんの子供と関わっているが
私が山羊を飼っていることを知るとたいていの子供が驚く。
なかには質問をしてくる子もいるのだが、
進学校に通っている高校2年生に
「山羊の卵はどのくらいの大きさですか?」
とスマホをいじりながら何気なく聞かれて大変な危機感を覚えた。

子供が思い通りにならないと嘆く一部の親たち、
表面上のお行儀の良さを求める学校の先生たちを相手に、
子供のもつ素朴な素晴らしさとたくましさ、
ひとりひとりの頑張る力を信じてほしいと悪戦苦闘していたが、
答えの一つを見つけたような気がした。
生命とちゃんと出会っていない子供達はいつかきっと、
ひとつの生命としての子供と、ひいては人間と、向き合えない
大人になってしまうのだ。
次の目標は動物介在教育を学ぶことによって
この負の連鎖を少しでも断ち切ることだ。
地域に住んでいる大人の一人として、命の手触りを知る子供を育てる
手伝いが出来るならば、こんなに幸せなことは無いと思っている。

田島征三さんと今井明夫さんの対談 感想

上越市の方が対談にいらっしゃり、今井さんにご感想を寄せてください
ましたので、掲載させていただきます。ありがとうございました。 ↓

【田島征三さんと今井さんのトークショーを聴いて】

 1116日に十日町市の「絵本と木の実の美術館」で行われた
絵本作家の田島征三さんのトークショーを聴きに行きました。
田島さんお一人のトークショーの予定がヤギの今井さんも
いらっしゃるとのこと。
今井さんは去年息子が1年生の時に学校で飼ったヤギを
お世話してくださった方。
うれしくて思わず息子とご挨拶しました。

 トークショーは今井さんのヤギのお話から始まりました。
ヤギを飼っていたことがある田島征三さんと今井さんのお話しは
楽しくてあっと言う間でした。
でも内容は今の私たちが忘れている大切なことを教えていただくもの
でした。今井さんのお話は学校でヤギを飼うことの意味や
子供たちが初めてみんなと協力して行う活動だということから
始まりました。

そうでした。
1年生になり立ての子供たちはみんなで食べてよいものは何か、
毒のある草が何かを学び、糞を掃き、散歩をさせ、
どんなことをしたらヤギは嬉しいかなど話し合いながら日々を
過ごしていました。
そして秋のお別れのときにはみんなが頼もしく見えました。

新潟県内には何校か春に子供を出産させているとのこと。
本当は一時的に飼うのではなく、
この出産を子供たちに見てもらいたいと
今井さんはおっしゃいました。その出産を見守ることは命そのもの。
お母さんヤギが苦しみながら産み落とし、
赤ちゃんはじきに立ち上がりお乳を飲む。
言葉では表せない力がそこにはあるのだろうと感じます。
親子で来たヤギの卒業式で今井さんが子供たちに、
お母さんヤギはまた春に子供を産むこと、
子供のヤギはお父さんになれることを話してくださいましたが、
他校の出産を見守る子供たちの様子を聴きながら
息子の学校でも出産ができたらよいのにと思いました。

 そしてもう一つ。ヤギはペットではなく家畜であること。
これはヤギの卒業式の時にも話してくださいましたが、
ずっと心に残っていました。
なぜならば、私自身、子供たちがヤギを飼うことの意味を
よく分かっていなかったからだと思います。
授業の一環であり、みんなで協力して世話をすることで
子供が成長する。
それだけのまさにペット感覚だったと恥ずかしい思いです。

人間は何かの命をいただいて生きている。
だからこそ、感謝をしておいしく食べつくす。
今でもモンゴルなど遊牧民の人たちは家畜と共に生活をし、
その家畜を殺し食糧にしている様子をテレビで見たことがあります。
皮や血、骨に至るまで無駄にはしていない。
今の日本はきっとそんなシーンを目の当たりにしたら
気持ち悪いという人がほとんどでしょう。
でもスーパーで売っている牛肉、豚肉、鶏肉も同じ動物なのに
残せば平気で廃棄し、食べつくすと言うことからはほど遠い。

昔は家畜としてヤギを飼っていた家がたくさんあり
子供も世話をしていた。
その中でどんな草に毒があるなどを自然と学び
食べ物を大事にいただいていた。

今はどうか? 
今の世の中はデータが豊富にあり、大人も子供もパソコンなどを
使いこなすことができるかもしれないけれど、
本当の意味での生きる知恵は持っていない。
食べ物が命の上に成り立っていることすら忘れているのではないか
と考えました。

「絵本と木の実の美術館」では
ビオトープを来年から本格的に始動させるそうですが、
昔は生活している場所そのものがビオトープであり、
子供たちは遊びながら知恵を身につけていたのだろうと思いました。
家畜を飼うことは生活のためであったかもしれませんが、
そんな中で命をつなげていくことを自然と学んでいた…
お二人の話しを聴く中で便利な世の中の不便さや弱さを感じました。
いかに進歩をしても忘れてはいけない根っこがある。
 
来年「絵本と木の実の美術館」にヤギが来たら、
息子と一緒に通いたいと思っています。
そしてあまり力を入れず自然の中でいろいろなことを感じ
学ぶことができたらと思います。


 本当に意義のあるお話しをありがとうございました。